『かゆい』
太田 詩
私は小学5年生の太田詩。
走るのが得意で、体育の授業ではいつも注目される存在。
だけど、汗をかくたびに肌がかゆくなるのは、本当に困りものだ。
夏が来ると、腕や首に赤い湿疹が出てしまい、つい掻きすぎて絆創膏を貼ることになる。
母の実家に泊まりに行くことになった。
と言っても、私の家から市営バスで10分で着く。
古い家で、いとこの美月と過ごすのが楽しみだった。
夕食を終えて布団に入ったけど、腕が急にかゆくなった。
湿疹が広がっているのが見えたけど、その形がいつもと違う。
文字のように見えるのだ。「こっち」と書かれているみたいで、私はぞっとした。
翌朝、美月が言った。
「詩ちゃん、夜中に廊下歩いてた?」
私は驚いて答えた。「え?歩いてないよ。」
でも、美月は「足音聞こえたし、トイレの前で誰かが立っていた」と言った。
その夜も、腕がかゆくて目が覚めた。
今度は左足のももの内側がかゆい。
見てみると、湿疹が広がっていて、「こっちにきて」と書かれているようだった。
怖くなって母に相談した。
「湿疹の形が、文字みたいなの。何か変だよ。」
母は驚いた顔をして言った。
「昔、おばあちゃんが“かゆい場所には気をつけろ”って言ってたわ。触れると、何かに呼ばれるって。」
その夜、私は夢を見た。
腕を絆創膏だらけの手が掴んでいる。
爪は異様に長くて、その手が何かを伝えようとしている気がした。
目を覚ますと、腕に新しい湿疹ができていた。そしてそこには、こう書かれていた。
「もうすぐ」
小島胡桃
詩からこの話を聞いたとき、私はただの怖い話だと笑い飛ばすことができなかった。
詩の震える声と腕の包帯、それに絆創膏だらけの状態が、冗談で済ませられる状況じゃないと感じさせたからだ。
詩は話の途中で何度も「おかしいよね」「信じてくれる?」と確認してきた。
でも、湿疹の話になった瞬間、私はなぜか胸騒ぎがした。
頭の中に浮かんだのは、うちの祖母が時々話してくれた奇妙な昔話だった。
祖母が言っていたのは、「湿疹やかゆみが何かを伝えようとしているなら、それはただの症状じゃない」という話。
しかも、「文字の形をして現れるときは、何かが“迎え”に来る前触れだ」っていう言い方をしていた。
詩にその話をしたら、顔色がさらに悪くなった。
「迎えって…何?」と聞かれても、正直、私もそこまでは知らない。
ただ、祖母はその昔話の最後にいつも「触るな」とだけ念を押していたのを覚えている。
「詩、その湿疹、絶対触らない方がいいよ」と思わず声を荒げて言ったけど、詩はうつむきながら「もう遅いかもしれない…」とつぶやいた。
その瞬間、背中に冷たいものが走った。
詩の話を聞いてから、夜になると不思議な音が家でも聞こえるようになった気がする。
詩に何かが迫っているなら、それをどうにか止められる方法があるのか、考える必要があると感じ始めたんだ。
太田詩の従姉妹 島田美月
詩の話を聞いてから、私はその「迎え」が何なのか調べる必要があると確信した。
自分の家で怪異が起きている、なんて信じたくない。
湿疹の文字、夜の音、そして夢に現れる爪の長い手——すべてが繋がっているように思えた。
次の日、私は詩と一緒に倉庫にある祖母の日記と古いアルバムを調べてみることにした。
祖母の過去の写真や手紙には、何か手がかりが残されているかもしれないと思ったのだ。
アルバムの中に挟まれていた一枚の写真が私たちの目を引いた。
それは若い頃の祖母と、祖母の姉らしき女性が写っている写真だった。
「これ誰?」詩が写真を指さして聞いてきた。
私は首をかしげた。見たこともない女性だ。
でも、その女性の手を見て私は息を呑んだ。
爪が長くて、どこか不気味だった。
そして、その指にはたくさんの絆創膏が巻かれていた。
祖母の日記を読んでみると、「迎え」とはかつて祖母の姉がこの家で触れてしまった“何か”によるものだと記されていた。
姉は湿疹のかゆみに耐えきれずかきむしり、それ以来「迎え」に囚われたという。
そして、その「迎え」の存在は姉の中に宿り、家に留まり続けているのだと書かれていた。
「夢に出てきたの…この人だった…」詩が小さな声で言う。
爪の長い絆創膏だらけの手は、祖母の姉のものだったのだ。
その事実を知った今、詩の湿疹は単なる症状ではなく、「迎え」が再びこの家に足を踏み入れたことを告げるサインだとわかった。
日記の最後にはこう締めくくられていた。
「迎えを退けるには、意志を示し、紡ぎ続けること。触れるな、繋げるな。」
解決の糸口はつかんだかもしれない。
「詩ちゃん、かゆいだろうけどかいてはいけないみたい。痒み止め持ってきてる?」
「うん、持ってきてる。かかないようにする。」
しかし、「意志を示す」とは具体的に何を意味するのか、私たちはまだ答えを見つけられていなかった。
そして、その答えを見つけるまで、「迎え」はこの家のどこかで私たちをじっと待ち続けている気がしてならなかった。
扉を閉じたはずの倉庫の中から、かすかな物音が聞こえた。その音に、詩と私は思わず顔を見合わせた。
そして、再び静寂が訪れる。答えがすべて解けたわけではない。
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