長野の山でソウタイキョウ
今日、修学旅行の下見に行った。
ビジターセンターの方から、こんなことを言われた。
「高山植物や動物の話をします。山の地形や火山活動の話もします。そうそう、それからソウタイキョウの話なんかもします。」
職員3人で伺っていたのだが、3名中2名が『岳』を全巻読破していたためソウタイキョウが遭対協だとすぐにわかった。

私は以前、コミックレンタルで読んでいたのだが、同僚は大好きで全巻揃えたのだそう。
その後「山に登る前にはスパゲッティを腹一杯食べておく」「遺体は物になってしまうのでヘリには載せられない」など、岳談義に花を咲かせた。
生と死の間
一話完結の話で構成されている『岳』。
山に登りに来る理由は人それぞれで、怪我した人、遭難した人を民間の救助ボランティアである島崎三歩が救助に向かう話がほとんど。
三歩は地表からはるか200メートルのポータレッジでゆったりとコーヒーを飲み、嵐の雪山で10日間、8体の屍体と過ごすなど常人には不可能なことをサラリとやってのける。

普通では経験できないようなことをマンガで味わえる。
俗世間と隔たりのある生活
過酷な環境である山。
何を好き好んで登るのか、と思ってしまうが、世の中には変わった思考の方が少なくない。
中には「できる限り高い山を、できる限り難しいルートで」登ることをよしとする者も、「もっと多くの人が山にきてほしい」と願っている者もいる。

高山病と戦い、冬山で消息を絶ったキャラクターも登場する。
登山は辛いイメージだが『クレヨンしんちゃん』の作者、臼井儀人氏も登山が趣味でリフレッシュするため頻繁に出かけていたそう。
冥福を祈りたい。
信頼感
登山には自分自身を信じ、必要な道具も信じ、仲間を信じ、あらゆるものへの信頼感が不可欠だと感じた。
自分ならできる、大丈夫と信じつつ、天候やアクシデントなど不測の事態が起きたときはあきらめて、引き返し下山するという判断をしないと死に直結する。
信じることは大事だが過信は禁物。
県警に務める山岳遭難救助隊チーフの野田も幼馴染の三歩に絶大な信頼を寄せている。

死者と遺族
山に登りに来て不慮の事故で亡くなってしまう人はどうしても、いる。
亡くなった本人は後悔があったとしても、多少なりとも覚悟がある。
ただ、急に「遺族」になってしまった人たちは悲しみとやるせなさで感情の整理もできず、救助隊やボランティアに烈火のごとく怒鳴りつけたり、殴りつけて土下座を強要する人たちもいる。

現実を受け入れられない、というやつなのでしょう。
山に登るヤツって何か変…
達観しているんだろうな。
地上にいても、明日死ぬかも知れないわけだし。
ただ、人の命を救うことには最善を尽くす。
多少リスクがあっても救助に向かう。
間に合わなかったとしても死者に対し敬意を払う。

助けられなかったことを、ズルズル引きずることはしない。
そして「みんな来ればいいのに」とたくさんの人が山に来ることを願っている。
山に捨てて良いものは?
三歩をはじめ、登山が好きな人たちは助かった命を最大限尊重してくれる。
忘れてしまいがちだけれど「夜寝られて、ゴハンが食べられる」これだけで人は幸せなのだ。
父子は、山道で崖から滑り落ち、5日間遭難する。
病死した母が残した言葉通り「夜眠れない、ゴハンが食べられない」ときは諦めないで自分を呼ぶように、を父子は実践する。
まず息子が叫び、一度遺書を書いて、覚悟を決めていた父も一緒に叫ぶ。
「オカアサーン、ゴハーン!」
助けに来ていた三歩達がその声を聞きつけて、父子の前に現れる。
命とゴミさえ捨てなければ、山には何を捨てても良い、と三歩は言っている。

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