『伍と碁』感想|囲碁版「黒子のバスケ」。才能と努力が交差する青春の火花

『伍と碁』第1巻の表紙。主人公・秋山恒星が黒い碁石を指先でつまみ、真っ直ぐこちらを見据えている。青白い髪が風に揺れ、和装の衣が静かに広がる。背景には囲碁の世界観を象徴する淡い模様が入り、作品の緊張感と静かな熱さが伝わる構図。 一巻レビュー
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囲碁マンガ『伍と碁』を読み始めて、最初に胸に浮かんだのは「これは囲碁を舞台にした黒子のバスケ」という感覚だった。

同じ時代、同じ場所に天才が5人も集まり、互いにしのぎを削る。

その中で主人公は、彼らに一度も勝てなかった“6人目”。

この構図がもう黒バスの“奇跡の世代+黒子”そのものなんだよね。

だから囲碁の知識がなくても読めるし、むしろスポーツ漫画としての熱量が前面に出ていて、読者を一気に引き込む。

何でもできる神童・秋山恒星。唯一勝てなかったのが囲碁という残酷さ

主人公・秋山恒星は、1歳で片腕逆立ちができたという規格外の神童。

野球でもサッカーでも勉強でも、どの分野でも小学生の時点で超人的な才能を発揮してきた。

そんな恒星が唯一勝てなかったのが囲碁。

小6のとき、小4の榎本翠に一度も勝てなかったという事実。

置き石なしで挑んで完敗し、そこから1日10時間の猛勉強に突入するものの、3ヶ月間努力しても9子置きでも勝てない。

囲碁の9子置きは“別ゲーム級の超ハンデ”と言われる世界。それでも勝てないという絶望感。

囲碁教室の5人は「同時期に大谷翔平が5人いた」レベルの怪物揃い。

コミックス『伍と碁』1巻より。

才能の壁。努力の限界。恒星が初めて味わう敗北の痛み。ここが物語の核になっている。

ただの高校生になった恒星。そこで再び現れる“囲碁”という呪縛

4年後の恒星は、何者でもない普通の高校生になっていた。

帰宅部で、特に打ち込むものもない。

母からは「一番じゃなくていい、楽しめることをしなさい」と言われるけれど、恒星はどこか満たされないまま日々を過ごしている。

そんな恒星が、地域のお祭りのカフェ屋台でバイトをすることになる。

働きぶりは完璧で、店長も驚くほど。

神童の片鱗がここでも顔を出す。

そこへ現れるのが白山小金。

囲碁将棋ブースでお年寄り相手に10連勝しようとしている、ちょっと尖った青年。

『伍と碁』の白山小金が、強い執念をにじませた表情でこちらを指差しながら叫ぶシーン。目を見開き、口元は歪んだ笑みのように緊張し、長い髪が揺れる。過去の屈辱を晴らすために囲碁へ向けた激しい情念が伝わる迫力あるコマ。
コミックス『伍と碁』1巻より。

院生では下の下という挫折を抱えつつ、アマからプロ入りを狙う実力者。

囲碁に人生を捧げてきた男。

そんな小金が、囲碁から離れていた恒星に負ける。

この瞬間、物語の歯車が再び動き始める。

囲碁教室の再訪。岡野環との4子局、そして“5人の天才”との再会

恒星が通っていた囲碁教室は、まさに怪物の巣窟。

3年2ヶ月ぶりに戻った恒星は、教室のお姉さん・岡野環と4子置きで対局する。

『伍と碁』のキャラクター紹介コマ。上段には黒番の岡野環が描かれ、眼鏡をかけた柔らかい表情で、淡い髪とハイネックの服が印象的。下段には白番の秋山恒星が配置され、短く尖った髪と鋭いまなざしで盤面を見据えるような姿。二人の対局前の緊張感が伝わる構図。
コミックス『伍と碁』1巻より。

囲碁は分からないと言いながら、ガチガチに守る環さん。

しかし恒星は粘り強く中央を切り取り、勝利を収める。

そこへ現れるのが“5人の天才”の一人、市原葉月。

恒星を見るなり「クソ雑魚恒星じゃん」と言い放つ毒舌。

スマホを見ながら黒石を置き、「クソ雑魚の番」と言い続ける天才の余裕。

完全に劣勢だった盤面を、葉月はじわじわ巻き返していく、が終局までは至らず。

決着はつかないまま葉月は帰るが、置いていったチラシには

「囲碁アマチュア登竜戦。優勝者は市原葉月と対局できる」と書かれていた。

アマチュア登竜戦と、恒星の勝利

登竜戦で恒星は優勝し、葉月との対局権を手にする。

2子置きで始まる対局。

葉月は“異常なまでの囲碁愛”を持つ天才で、努力も積み重ねてきた本物。

しかし対局は、葉月が焦り、恒星がじわじわ取り返す展開に。

囲碁が分からない読者でも、緊張感と逆転の気配が伝わる構図。

そして一巻ラスト。

恒星は葉月に“一目差で勝利”。

一方、恒星のライバル的存在の榎本翠はタイトル挑戦権を得て、初段から一気に七段へ昇段するという展開。

現実の囲碁界では段位の飛び級は存在しないので、ここは完全にマンガ的演出。

でもその大胆さが作品の勢いを生んでいる。

作者情報:蓮尾トウト先生(原作)と仲里はるな先生(作画)という最強タッグ

『伍と碁』を語るうえで欠かせないのが、原作の蓮尾トウト先生と、作画の仲里はるな先生のタッグ。 蓮尾先生は物語構成とキャラクター心理の描写に強く、囲碁という専門的な題材を自然に物語へ落とし込む力がある。

競技×青春というジャンルで、キャラの感情の揺れや成長を丁寧に描くタイプの作家。

一方、仲里はるな先生は線が綺麗で読みやすく、表情の変化や対局シーンの緊張感を絵で表現するのが抜群に上手い。

囲碁の盤面を丁寧に描くこだわりも感じられ、静の競技を動のドラマに変える力がある。

この二人の組み合わせが、『伍と碁』の魅力を最大限に引き出している。

『伍と碁』は“才能×努力×挫折”が交差する青春物語。囲碁を知らなくても刺さる作品

囲碁、将棋、ラグビーは番狂わせが起きにくい競技だと個人的に思っている。

だからこそ、才能ある者が努力を積み重ねた結果がそのまま勝敗に出る世界。

葉月のような天才が、努力を怠らず、棋譜研究を続け、囲碁を愛し続けてきたのに、ハンデ戦とはいえ恒星に負ける。

この“あり得なさ”が、逆に物語としての熱量を生む。

『伍と碁』は囲碁を知らなくても楽しめるし、むしろ囲碁を知らない読者ほど“才能と努力のドラマ”として刺さる作品。

天才の光と影。努力の重さ。挫折の痛み。 その全部が詰まった、熱量の高い青春物語。

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